つまみ細工は、なぜ「江戸土産」になったのか

つまみ細工は、なぜ「江戸土産」になったのか

一凛堂の店主に聞き、小さな花飾りがたどった道

七五三や成人式で、当たり前のように小さな花の髪飾り。 あれは、いつ、どこで作ったものなのでしょう。

その歴史をたどっていくと、宮中の思い出、歌舞伎の華やぎ、東海道を行く旅人たち ― いろんな人の憧れが、小さな花飾りに広がっていたことが見えてきます。

初めは、宮中に考えた

つまみ細工の始まりは、江戸時代の宮中にあると言われています。髪飾りや櫛、化粧箱を彩るための、ささやかで上品な装飾です。

 

「最初から、誰も無いものではありませんでした。一応、遠くから眺めの存在だった」と店主は言います。

では、その憧れの品は、どのようにして町の人々の手に渡っていたのか。

庶民に広めたのは歌舞伎、だった

つまみ細工を庶民へと広げたのは、歌舞伎でした。

江戸時代、歌舞伎は人々にとって最大の娯楽。 憧れの役者の注目は、そのまま流行の最先端でした。 舞台で役者が髪に挿すつまみ細工を見て、「あれを自分もつけてみたい」と願う人が増えていきます。

「憧れの人と同じものを身に着けたい ― その気持ちは、今も昔も変わらないでしょうね」と店主は話します。

その「付けてみたい」という憧れが、つまみ細工を庶民の世界へと押し上げました。 憧れが必要を生み、必要が職人の仕事を支えます。こうしてつまみ細工は、一部の人の装飾品から、町の人々が手にできる品として育ってたのです。

アンチ、旅のお土産として

ここからは、店主が「あまり知られていない話なのですが」と前に置いて教えてくれたお話です。

江戸時代、東海道往来が盛んになります。京と江戸を多くの人が行き交うようになりますと、つまみ細工は旅の土産物として喜ばれますように。

その理由は、つまみ細工があり、永遠にありました。

「軽くて、見栄えが良い。これが、遠くへ持ち帰るお土産にちょうどよかったです」

長い道のりを歩いて帰るのに、軽くてかさばらない。 それで、受け取った人が思わず入るほど華やか。 これほど土産物に向いた品も、そうはありません。

それでは続きのは、ここから職人たちの工夫が花開いたことです。

「たくさん求められるようになりますと、職人も知恵をしぼります。よそより美しく、よそにない珍しさを、と。その積み重ねが、技術を磨いていったのです」

人を喜ばせたいという素朴な願いが、結果として、つまみ細工の表現を豊かにしてみた ― そう思うと、土産物という日常の延長にも、確かな技の物語が宿っていて行われます。

京は華やかに、江戸は粋に

同じつまみ細工でも、京都と江戸では、好印象な姿があった。

 

京の舞妓が髪に挿すのは、目を奪うほど華やかで艶やかな花簪。いっぽう江戸の人々が愛したのは、やや落ち着いた、控えめな佇まいでした。

「江戸の人は、華美を好まないのです。粋(いき)という感覚ですね。江戸小紋のように、一見地味でも、よく見ていると凝っています。そこに美意識が、つまみ細工もありました」

京の華やぎが、東海道を東へとくだるうちに、江戸の渋みへと移ろっていく。 同じ花飾りの中に、土地それぞれの美意識が映り込んでいるのです。 そして、その江戸の粋は、今にも伝わるつまみ細工の意匠にも、静かに息づいています。

さらに遡れば、平安の造花文化へ

つまみ細工の源流をさらにたどると、平安時代まで行きます。

当時の貴族文化「有職(ゆうそく)」の中に、布で花をかたどる「有職造花(ゆうそくぞうか)」という技がありました。その造花の中に、花弁を作る技法の原型を見ることができる――まさに、布で花を表すという発想が、千年を超えて受け継がれてきたことになります。

「江戸で生まれた、というより、長い時間をかけて少しずつ形になってきた。そう考えると、つまみ細工は奥深いものなのです」

おわりに

宮中の憧れの品から、幼い歌舞伎庶民へ。 東海道土産として磨かれ、京都と江戸でそれぞれの美意識をまといながら、つまみ細工は受け継がれてきました。

小さな布の花の中は、人々の憧れと、旅の記憶と、土地の美意識が、私たちも重なり合っています。

次回は、その歴史を今に受け継ぐ「職人」の世界へ。 華やかな晴れの日の向こうにある、つくり手たちの現実と、一凛堂が守っているものについて、お話しします。

 

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